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that day 8 [that day]

 

思い返せば、道場にいるときは
ぼくはいつも彼女を見ていたし、
それを彼女も気づいていた。

彼女は悩み、ぼくは諦めた。

お互い
こころの片隅にはあっても重なることはなかった。
そして今の彼女はどうなんだろう。


ぼくは今、そこそこの幸せに包まれている。
とくに不満もない。


そんなぼくが
彼女に何を聞けばいい?
何を、どう伝えればいい?



信号が青に変わる。
若者がスマホを見ながら横断歩道を渡っていく。


彼女も、ぼくも、立ち止まったまま。
進めない。

お互いを
お互いの「あのとき」を見つめあったまま、
進めずにいる。



雨の匂いが強くなってきた。
エキストラたちは
もう二次会の居酒屋に着くころだろうか。

ぼくは彼女の肩に揺れる髪を見た。
ゆるく、彼女の動きに合わせて揺れる髪が、
ぼくをも揺らす。



ぼくは、彼女に何も聞かない。
ぼくは、彼女に何もしてあげられない。
そして、彼女もそれを知ってぼくに謝っている。

…ぼくが謝るべきできごとだったのに。
ぼくの一方的な、
唐突な行動で彼女は戸惑ったはずなのに。



動けずにいるぼくと彼女に、
また雨粒が降りてくる。
ぼくは左手に持っていた傘を開き、
彼女に差し掛ける。



「キス、していいですか」



ぼくは、今のぼくを伝える。
もう、彼女を抱きしめることはできない。
彼女もそれは望まない。


今、
ぼくは、
ここにいる彼女とキスをしたい。

それを、伝える。



「はい」

彼女が少し微笑む




青信号が瞬き
そして赤に変わる




傘を打つ雨の音がする。
ぼくの右手のなか、彼女の頬。

 
ぼくはそのまま
指先でそっと彼女の髪を遊んだ。









ぼくは…




こうして

ぼくの「あのとき」と
彼女の「あのとき」が
雨粒と一緒に
時の中、溶けて消されていった。











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that day 7-2 [that day]

あのとき、私、
あなたの気持ちに答えたかった。
しっかりと抱きしめてもらいたかったの。
だけど、それだとあなたを利用することになってしまう。
あなたの好意を、
私のさみしさとすり替えようとしてはいけない、って。



サラリーマンがひとり、
待ちきれずに信号無視をして横断歩道を渡っていく。


彼女の透明な声に
ぼくはあのときの情景を思い出していた。
風が彼女の髪を揺らしていたな、とか、
あのほの暗い通路で、
彼女は凛とした姿に危うさをまとっていて
ぼくはそれで、
それで、いなくなってしまう、
と思ったんだ。



私、あのとき、
本当は抱きしめてもらいたかったの。
そしてキスしてほしかったの。

だけど
私だけ、自分の思いをぶつけてしまったから、
だからあなたに謝りたかった。
だけど
正直、謝るのも怖かったの。
嫌われてしまうんじゃないか、って。
私、あなたよりだいぶお姉さんだし。
だからあなたの昇段祝いの時
チャンスかも、なんて思ったりしてたのよ。
でも、あなたにはもう婚約者がいて
ちょっと自分を笑ったわ。
ばかみたい、って。


彼女は少しだけうつむき
ぼくは
彼女の言葉を拾い集めようと思った


だけど
彼女の声は透明すぎた。


ぼくの左肩ごしに
微かに瞬く彼女の睫毛
ふとぼくの方を向く


もう、時効ですよね。
だから、
あなたは忘れていたかもしれないけど、
謝りたかったの。
これも私の勝手な思いなんですけど。


 「あのときはごめんなさい」


彼女はぼくを見上げ
そしてちいさく頭を下げた。
髪が揺れた。

彼女の髪の香りと雨の匂いが
ぼくを動揺させる。


あのときの彼女がここにいる。
そう感じた。

誰かの手を掴みたくて掴めずに
ひとりで立ち尽くしていた
「あのとき」の彼女が、
今のぼくの目の前にいる。


いまのぼくは
彼女になにを伝えたらいいのだろう。


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that day 7-1 [that day]

 
あの頃、私、つらい恋愛していたんです。
自分から終わりにしないといけない、って
わかっていても踏み切れずにいて。


あなたが私のことを気にしているんじゃないか、って
先輩から聞いたのはそんな頃だったの。
私、あなたの射とても好きだし、尊敬しているし、
いつも穏やかで礼儀正しくて…
そんな人が気にしてくれているなんて
ほんとかな、って思て。

あなたと視線があうと
すこしドキドキして
年甲斐もなく、ドキドキしてたの。
だったら、いっそ、つらい恋愛なんてやめて…
なんて思ったりもしたの。



そんなときにあなたから
「抱きしめたい」って言われて。
最初はとまどったけど
それ以上にすごく嬉しかったの。
私にも普通の恋愛ができるかもしれない、って。
ちょっと思ったりして。


 
エキストラたちは、
青の点滅信号を笑いながら渡っていった。

道を挟んでぼくと彼女だけが取り残される。
ビルの看板を見上げ
落ちてくる水滴を気にしながら
彼女が続ける。

ぼくは彼女の唇からこぼれることばを見つめた。




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